オーデュボンの祈り
- 作者: 伊坂幸太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2003/11/28
- メディア: 文庫
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最後のオチがちょっと納得いかなかったけれど、今まで読んだ伊坂幸太郎の本の中では二番目に好きなストーリー。
リリイ・シュシュの全て
- 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
- 発売日: 2002/06/28
- メディア: DVD
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映像が綺麗。役者が魅力的。
話は陰湿で「容赦のない中二」を扇情的に書いている。
人物の変化に置いて、わずかに原因を提示し、いきなり結果を出すいう形で、変化過程の表現が省かれている。
変化の前の状態を丁寧に美しく書いているだけに、一変した姿を見れば弾けるような衝撃を与えられる。
とろくさい過程はスタイルに合わないとして切り捨てたのだろうか。
切り貼り絵のように技巧的で抽象的。
しょっぱいドライブ
- 作者: 大道珠貴
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2003/02/25
- メディア: 単行本
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味以外の物にも「しょっぱい」と表現するということをを知ったのは、女子プロレスゲームでだった。
「なにしょっぱい試合をしているんだ」
膠着が多く、上手でなく、味気なく物足りない。
そのような時に使う表現らしい。
金と愛着とに怠け心をだし、近所に住む六十代初老の男性と生活を共にしようとする三十代女。
「しょっぱいドライブ」
不登校の中学生が年を誤魔化して働いたバイト先で知り合ったお相撲さんと付き合う。
「富士額」
幼い頃から生活を支配されてきた友人からの解放・再開・再構築。
「タンポポと流星」
ねっとりするような日常の膠着の中、ゆっくり事態が変わったり、変わらなかったり。
しょっぱい。
ニッポン硬貨の謎
- 作者: 北村薫
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2005/06/30
- メディア: 単行本
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エラリー・クイーンの未訳原稿が発見され、それを翻訳した。
そんな体裁をとった本。
細部にわたるまで「当時の英国人・クイーンが書いた日本舞台の小説」の形式に拘って書かれている。
エラリー・クイーン作の国名シリーズ自体、
「作家探偵エラリー・クイーンが活躍する」という体裁で書かれている物なので、この時点で二重の額縁に納められていることになる。
さらに、エラリー・クイーン当人も作家人生にトリックを施したことで有名であるし、この本のメインストーリーは若竹七海の実体験から展開された企画小説「五十円玉二十枚の謎」を引いてきている。
幾重に歴史とトリックを重ねていたり、
エラリー・クイーンマニアのヒロインが作品論を打ったり。
なのに、論説ぶった重苦しさもなく、見通しの悪い所もない。
「五十円玉二十枚の謎」の解答としてはあまりピンと来なかったけれど、
2005年の今ではなく「エラリー・クイーンが原稿を書いた時期」の、昭和日本の薄闇の時代性を表現した解答ではないだろうか。
多分エラリー・クイーンファンならば頷きながら読める物ではないのだろうか。
古典ミステリファンならば胸打つ物ではないのだろうか。
そんな風に贔屓の引き倒しができるぐらい、作家に圧倒された。
露の見た夢
「盗人と英雄、二つの命が刑場で交わした約束、
それは数奇な物語の始まりだった」
劇団6番シード 第25回公演 露の見た夢
四月に見たものだけど、メモをアップ。
マサラ人の国でありながら、大国サラガヤの支配下にある砂漠の都アスカリナ。
ソマテ人の盗人タジムは捕らえられて処刑されることになる。
刑場で彼の隣に並べられたのは、
マサロ人を導く英雄と崇められて支配者階級から危険視された男ラクサーダ。
「もし助かったら、違う生き方が出来ますか」
ラクサーダの計により一命を取り留めたタジムは
祭司長の元に送られ、英雄ラクサーダの偽りの後継者となって
マサロ人を操るように命じられる。
紀元前後の中東を思わすような舞台で
「卑しい生まれの者が導師に触れて聖者になる」
という、キリスト伝を思わせるようなストーリー。
宗教に中東歴史、古代政治と、現代日本人には馴染みのない雰囲気を取り扱っていながらも舞台装置・衣装・台詞回しや演技のおかげで物語が胸に入りやすかった。
小心者は小心者らしく、偉そうな奴は偉そうにと、登場人物がコミカライズされている。
歴史・偉人伝を名コミックで親しむような感触がした。
真実を教えて聖者様「支配者階級の純真なお姫様」
アンタを殺して私も死ぬ「道を違えた昔なじみの女」
なんて、ドラマチックロマンスを期待させるような役も出ているというのに、物語は女なんていらねぇよ、とばかりに色恋沙汰をスルーしまくり。
宗教劇には、聖典を忠実に再現するのが目的の再現劇というスタイルがあるようだ。
この舞台からも、舞台の前に一つの聖典があり、それを劇化したような形式を感じられた。
そう考えると、ロマンスの華麗なスルーっぷりなどもわかる気がする。
(聖典により、濃いロマンス譚は歴史の編集者に検閲されました)
<-------------ネタバレ反転>
シャッポという弟分の少年が殺されたことが切っ掛けで、
タジムは聖者になることを決めるのだが、
話の最後で「実はシャッポは生きていた」と再登場してくる。
これは物語の流れだけでみれば無理がある。
助かった理由があまりにも説明不足だ。
だけど、これが聖/典を元にした、聖者の話だと思うのならば
「大事な者の喪失という『心に負った負債』により苦難に満ちた聖者の道を歩き始めたが、
大事な者の復活により負債は消え、自由となった魂でなお道を行く真の聖者へと昇華した」
なんて形式が含まれているのかも知れない。
<-------------ココマデ>
娯楽感は少なく、伝記フォーマットに填った感じが強い舞台だったけれども面白くて見やすかった。