露の見た夢

「盗人と英雄、二つの命が刑場で交わした約束、
  それは数奇な物語の始まりだった」
 劇団6番シード 第25回公演 露の見た夢

四月に見たものだけど、メモをアップ。



マサラ人の国でありながら、大国サラガヤの支配下にある砂漠の都アスカリナ。
ソマテ人の盗人タジムは捕らえられて処刑されることになる。
刑場で彼の隣に並べられたのは、
マサロ人を導く英雄と崇められて支配者階級から危険視された男ラクサーダ。


「もし助かったら、違う生き方が出来ますか」


ラクサーダの計により一命を取り留めたタジムは
祭司長の元に送られ、英雄ラクサーダの偽りの後継者となって
マサロ人を操るように命じられる。



紀元前後の中東を思わすような舞台で
「卑しい生まれの者が導師に触れて聖者になる」
という、キリスト伝を思わせるようなストーリー。


宗教に中東歴史、古代政治と、現代日本人には馴染みのない雰囲気を取り扱っていながらも舞台装置・衣装・台詞回しや演技のおかげで物語が胸に入りやすかった。

小心者は小心者らしく、偉そうな奴は偉そうにと、登場人物がコミカライズされている。
歴史・偉人伝を名コミックで親しむような感触がした。


真実を教えて聖者様「支配者階級の純真なお姫様」
アンタを殺して私も死ぬ「道を違えた昔なじみの女」
なんて、ドラマチックロマンスを期待させるような役も出ているというのに、物語は女なんていらねぇよ、とばかりに色恋沙汰をスルーしまくり。


宗教劇には、聖典を忠実に再現するのが目的の再現劇というスタイルがあるようだ。
この舞台からも、舞台の前に一つの聖典があり、それを劇化したような形式を感じられた。
そう考えると、ロマンスの華麗なスルーっぷりなどもわかる気がする。
聖典により、濃いロマンス譚は歴史の編集者に検閲されました)

<-------------ネタバレ反転>

シャッポという弟分の少年が殺されたことが切っ掛けで、
タジムは聖者になることを決めるのだが、
話の最後で「実はシャッポは生きていた」と再登場してくる。

これは物語の流れだけでみれば無理がある。
助かった理由があまりにも説明不足だ。

だけど、これが聖/典を元にした、聖者の話だと思うのならば
「大事な者の喪失という『心に負った負債』により苦難に満ちた聖者の道を歩き始めたが、
 大事な者の復活により負債は消え、自由となった魂でなお道を行く真の聖者へと昇華した」
なんて形式が含まれているのかも知れない。

<-------------ココマデ>

娯楽感は少なく、伝記フォーマットに填った感じが強い舞台だったけれども面白くて見やすかった。